高岡寿成選手(kanebo) ALL Records | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 06年・東京国際マラソン 高岡寿成選手 Copyright © ekiden@photos all right reserved Photo by Makoto OKAZAKI |
◎高岡寿成選手(カネボウ) 1970年9月24日生まれ 京都府出身 186cm・64kg・B型 洛南高校→龍谷大学→カネボウ化粧品・「カネボウ陸上競技部」
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![]() 05年・全日本実業団駅伝 高岡寿成選手 |
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![]() 05年・中実記録会5000m 高岡寿成選手 瀬戸智弘選手 中村悠希選手 真壁剛選手 |
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◎高岡寿成選手(カネボウ)、九州一周駅伝全記録 高岡選手の九州一周駅伝での成績をまとめてみました。毎年、前後のレースとの状況を考え、その年のテーマを持って走られていると推測されます。入社された1993年に九州一周デビューは12〜13kmの区間を3回区間賞。アジア大会で2冠を獲得された1994年には16km区間まで距離を伸ばして4回区間賞で納戸賞(MVP)を獲得されています。1995年は福岡クロスカントリーで痛めたふくらはぎの故障が長引いてほとんどレースに出場されていません。驚異的な復活レースでアトランタ五輪代表を射止められた1996年は五輪後に1回出走されています。同様に1997年はアテネ世界選手権後に1回出走されています。 5000mで日本新(13分13秒40)を樹立された1998年大会6日目1区でふくらはぎを痛めて途中棄権をされたのは衝撃でした。94年アジア大会に続き98年アジア大会で連覇を狙われていた大事な時期での大きな故障ですから驚いた記憶があります(98年アジア大会は欠場)。1999年はセビリア世界選手権10000m・12位の成績後、九州一周では3回出走されて3回区間賞。2000年シドニー五輪では九州一周駅伝で得た経験を存分に生かした大活躍(予選・決勝4戦・5000m15位・10000m7位)をされたため、休養を考えられたのか出走はありませんでした。2001年大会は初マラソンの福岡国際に向けて2回20km区間を走られて共に区間新記録を樹立されています。2002年大会はシカゴマラソンで驚異的な日本記録を樹立された直後に2回出走されています。2003年大会は福岡国際マラソンへ向けて2回20km区間を走られて、8日目には区間新で走破されています。 高岡選手は九州一周において98年途中棄権と2002年大会7日目3区で宮崎県・佐藤信之選手(旭化成)の区間賞(48分33秒)に(21秒)敗れ区間2位と、この2区間での出来事が高岡選手が九州一周で喫した棄権と惜敗ということになります。言い換えれば、それ以外は出走されたすべての区間で区間賞、あるいは区間新で走られているということになります。高岡選手が成しえたシドニー五輪での短期間4レースはまさに九州一周の3回出走、4回出走から学ばれた集大成であり、その後のマラソン、ハーフ、30kmでの活躍を支えているのもやはり世界一長く過酷な九州一周駅伝が根底にあるのだと思います。 ◎シドニー五輪・高岡選手の4レース 5000m 予選 D13分29秒99=通過 5000m 決勝 N13分46秒90 10000m 予選 D27分59秒95=通過 10000m 決勝 F27分40秒77(自己新) ◎マラソン 1 2時間06分16秒 2002年10月16日・シカゴ・シカゴマラソン・3位(☆日本記録) 2 2時間07分50秒 2004年10月10日・シカゴ・シカゴマラソン・3位 3 2時間07分59秒 2003年12月7日・福岡・福岡国際マラソン・3位 4 2時間09分41秒 2001年12月2日・福岡・福岡国際マラソン・3位
2004年11月15日 ろっく |
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◎2003年3月に「寺田的陸上競技WEB」で紹介していただいたコラムです。 「日本長距離史上最高のランナー」 |
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![]() 186cm高岡選手 172cm六郎万選手 1998年10月撮影 |
「日本長距離史上最高のランナー」 今月、2003年3月号の陸マガの検証&考察記事で「過熱する人気の中で箱根駅伝のあるべき姿とは?」の文中に高岡寿成選手が3000m、5000m、10000m、マラソンの4種目の日本記録保持者として「日本長距離史上最高のランナー」との表現がされていた。「日本記録4冠」としての高岡選手、あえて五輪種目にはない3000mを除いて考えても、「5000m・10000m・マラソン」のまさに長距離主軸種目で最速の記録を保持され、また実績の内容でも奇跡とまで言われたシドニー五輪10000m7位入賞をはじめ、世界陸上連続出場、アジア大会などの国際大会での活躍と日本選手権など全日本レベルの国内大会でも厚みのある素晴らしい実績を有しておられる。さらに2002シカゴマラソンでの2時間06分16秒の日本最高記録樹立の興奮も歴史に刻まれた。「寺田的WEB」でも寺田さんは「高岡選手ほど紹介する時に何の実績を前面に出すのか?」を迷われていたようだが最近はすっかり「日本記録4冠保持者」が板についてきた。 例えば身の回りの陸上を知らない人に「誰が日本人で一番速いの?」と尋ねられたら「高岡寿成選手」と答えるしかない・・それ以外の選手の名前を言えば嘘になる。陸上好きの人にはそれぞれ「誰が好きな選手か?」とか「思い入れのある選手」はあり、誰が特別な強さを持っているといった議論などいろいろあるだろうが、現在の状態では要するに「高岡寿成選手」こそ「日本人最速のランナー」なのである。テレビの特集番組では地道な体調管理で高岡選手の強さを支える側面がクローズアップされていた。体温測定、血圧測定、練習中の心拍数、一日に何度も体重測定をされると聞くし、海外遠征でも各測定機材を持ち込み、測定を欠かさないと聞いたこともある。そのほかにもご自身でさまざまな工夫をされているのではと推測されるが・・そういえば歴史小説を読むのが好きで合宿中の個人部屋に置いてあったのが紹介されていた。 今年2003年は高岡選手が鐘紡・カネボウに入社された1993年から10年目にあたる。この10年間の競技者としての活躍の光と影は、ぼくらにさまざまな感動を与えてくれた。故障で苦しんでおられた年(1995年)もあり、そこから劇的なアトランタ五輪出場への道のり(1996年)、アトランタ五輪からの苦悩、学生時代の5000mの日本記録・自己記録(1992年)を6年ぶりに更新された年(1998年)もあった。 来年のアテネ五輪に向けて弾みのシーズンになるよう「地元・山口県最高の英雄」を応援していきたい。 2003年3月1日 ろっく |